古い日記集

メモや日記帳などをまとめた昔の日記
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就業履歴(年金記録参考)
(1965年大学卒業予定)
1965(s40)/04/01〜1965(s40)/09/01 (05月)
   兼松(株)東京支店(留年、在学中)
(1967年大学卒業)
1967(s42)/04/01〜1969(s44)/02/01 (22月)
   日本ユニバック株式会社(現・ユニシス)
1969(s44)/04/01〜1970(s45)/02/01 (12月)
   (株)ビジネスコンサルタント(BCON)
1970(s45)/02/01〜1971(s46)/10/01 (20月)
   (株)ビーコンシステム (上記コンピュータ部門分離)
(失業8ヶ月)
1972(s47)/06/01〜1975(s50)/05/01 (35月)
   日本シーディーシー株式会社(CDC)
(失業7ヶ月)
1976(s51)/02/01〜1980(s55)/10/01 (56月)
   日本ラッド株式会社
1981(s56)/01/01〜
   株式会社オリオン ほかアルバイトなど   (31月)
1983(s58)/05/01〜1986(s61)/07/06 (38月)
   日本インテグレイトシステム株式会社(NIS)
(渡タイ)
(1993年7月29日再帰国)
   和泉電気 アルバイト扱いなど
1994(h06)/05/21〜1996(h08)/05/17 (24月)
   万座温泉(株)日進館
1996(h08)/06/01〜1997(h09)/05/21 (11月)
   (株)ウッドビルド(WB)
(失業1ヶ月)
1997(h09)/06/30〜1998(h10)/08/05 (14月)
   (株)深山商会(ミヤマハウス)
(失業4ヶ月)
1998(h10)/12/01〜2001(h13)/04/01 (28月)
   (株)泰成エンジニアリング
2001(h13)/04/02〜2002(h14)/03/31 (12月)
   (株)泰成エンジニアリング(年金受給しながらで臨時雇用扱い)
(2002年5月7日、チェンライへ戻る)
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自分コメント
いつの日か、読み返すこともあろうかと、古い日記帳や業務用手帳などの内容を転載し、ここに公開しておいた。 投稿時に当時のことを思い出しながら、必要に応じて《追記》も書き加えておいた。 資料が残っていなかったこともあり、あちこち「歯抜け」状態だが、「ブログ」日記への橋渡しの部分にも、少々欠落する部分が出てしまった。
| noripayarn | 1987diary | 09:21 | - | - |
1979年の日記帳と行徳住まいのいきさつ



これが、1979年の日記帳です


 とはいうものの、「三日坊主」の性癖は相変わらずで、簡単なメモを含めても、1月11日分までしか書き込んでありませんでした。それでも、当時、父親が存命中だったことや、前妻との関係もとりたててまずくはなっていなかったらしいことなどが推測できる書き込みがあり、この際、インターネット上に公開しておくことにしました。

 背表紙裏には、次のような書き込みがあり、後日の備忘のために、残しておくことにしました。

     1978.12.30
     行徳駅前 青山書店で購入 (¥1850)

     初診料  600円
     入院費  200円/日
      (健保)

     (住所氏名:縦書き)
        市川市本行徳2115
          行徳ハイム1−218


 【補記:行徳住まいのいきさつなど 12/15/2009】

 前妻との挙式は、神田の学士会館、新婚旅行は、京都。新幹線車中では、女優の十朱幸代さんと隣り合わせの席になりました。なんとなく淋しそうに雑誌「文芸春秋」を読みふけっておられたのを見かけて、柄にもなく声をかけたことが印象に残っております。夕方近く、「関が原」を過ぎたあたりで、新幹線開通以来とかいう大雪のため緊急停車や徐行運転などに遭遇し、あわや、車中泊になるところでした。

 前妻との新所帯の始まりは、小生の勤務先があった広島市内の西のはずれ、太田川を渡った「庚午」というところの大通りに面した「漢方薬屋」の店舗の2階でした。老家主に、「石油ストーブ」は、身体によくないからやめた方がいいよといわれたことが、未だに頭に灼きついております。それ以来愛用だった「アラジン」の石油ストーブの出番がなくなってしまい、専ら電気ゴタツの生活になってしまいました。
 「庚午」に住み始めてまもない頃に、公団住宅の抽選に当たり、広島城の北の白島団地に引越しました。ベランダから外を見ると、太田川が足下に見え、足がすくみそうな11階の部屋でした。
 広島時代のことは、また別の機会に書かなければと思っておりますので省略しますが、4年ほどの広島暮らしのあと、会社(外資系)がなくなることになり、希望退職に応じて、東京に戻ることになりました。とはいうものの、勤め先はおろか、住まいの当てさえもあるわけではないので、公団住宅の「空き家」が出るまで待つつもりで、千葉県八千代市八千代台の駅前の貸家に引越しました。
 記憶では、その後、半年足らずで、近くの「花見川団地」に入居できたと思います。エレベータのない5階建て住宅の最上階だったと記憶しております。
 この頃、前職の会社でもお世話になり一時広島時代もご一緒させていただいた大塚さんたちが、はじめた、三井物産(株)などを主な顧客先にしたシステム開発会社の設立にかかわることになったのですが、なにぶん通勤に不便ということもあって、転居先を探していたところ、市川市の行徳、江戸川河口近くの「マンション」の入居募集を見つけ、引っ越すことになりました。
 頭金だけは、前職の退職金などで、何とか都合はつけたものの、ローンでの買い物、当時の家計からすると、返済しなければならない元金だけでも、2000万円近い買い物は、身の程知らずだったような気がしておりました。
 住所の記録からですが、「行徳ハイム1−218」というのは、1号館の2階の218号室ということになるかと思います。
 1階の部屋には、ベランダの外に、本当に「猫の額」ほどですが専用の庭がついていて、土育ちの田舎者には魅力だったのですが、共稼ぎで、日中は留守になるわけで、安心のために2階を選らびました。
 これが、のちに「ジンゴロウ」との「奇跡的な出遭い」の伏線になったのです。このとき、1階または3階以上の上階を選択していたとしたら、「ジンゴロウ」との出遭いはなかったかもしれません。
 「ジンゴロウ」との出遭いは、もしかすると、この年(1979年)のことで、この年あたりに、浦安に引っ越していたのかもしれませんが、遠い昔のことで、記憶はオボロになってしまいました。

 1987年に浦安の家を売却したのですが、売却時の課税額が、購入後10年経過していれば、割安になるはずだったんのが、10年にはあと1年あまり不足していて、悔しい思いをした記憶があります。ここから逆算すると、浦安に引っ越したのは、この年のことだったかもしれません。

 「ジンゴロウ」についての詳細は、拙稿 「ジンゴロウ」の思い出 をご覧いただくことにして、上記拙稿にも書いてありますように、「ジンゴロウ」との縁で、後に行徳の隣り町、浦安市内の戸建てを購入することになったわけです。
 しつこく、何度も書きますが、その戸建て住宅を処分したときの、小生にとっては、生まれてはじめて手にするような数千万円に及ぶ差益のおかげで、前妻への財産分与後も、現在のような分不相応な生活が出来る資産が残ったわけです。
 「ジンゴロウ」に授けてもらった恩を思えば、「猫」たちの難儀を見捨ててはおけなくなってしまうわけです。2009年の年の暮れ、世話をしている猫は、母屋の中に22匹、チャムトーンの養魚池まわりに15匹、あわせて37匹になってしまいました。餌代や医療費などはともかくとして、下の世話や、病気猫とのお付き合いなど、並み大抵の苦労ではありませんが、小生の今があるのも、もとをただせば、1匹の「猫」との出遭いからはじまったことだと思うと、小生の生ある限り、我慢し続けるしかないと思っております。

 この日記帳ですが、日々の書き込みは10日足らずしかありませんが、「当用日記」の昔からのスタイルらしく、年頭所感や年間構想など書き込むページがあり、それらについても、このブログの1月1日付の継続ページとして記入しておくことにしました。

| noripayarn | 1979diary | 01:05 | - | - |
「年頭所感」
 未だかつて、年が改まったが故に、特別目出度いとおもったことはないが、人間誰も身勝手なもので、自分にとって都合のよいことは、今年も継続して欲しいと願い、その逆のことは、今年は起きないようにと思う。
 都合のよいことばかりの世の中なんて、どんなに退屈なものか。
 昔とくらべると、正月気分というのは、随分薄れたような気がする。よいことだ。

 【補記 12/15/2009】

  この日記帳を購入したのが、暮れも押しつまった12月30日。思いつきというか、ちょっとしたもののはずみで、日記でも書こうかなと思ったにちがいない。
 「〜冥土の旅の一里塚、目出度くもあり、目出度くもなし」と、相変わらずの「へそ曲がり」の「年頭所感」である。

| noripayarn | 1979diary | 02:00 | - | - |
「年間の構想」
  〆鮟、10月よりの胃痛は、どうやら「十二指腸潰瘍」とのことらしいので、今年は、これを治療すること。
 ◆ 嵜澗“作」の原因を究明し、発生を未然に防ぐこと。
  虫歯の治療をすること。

 ◎ 「世継」をもうけること。

 【補記 12/15/2009】

  ,海虜△痢◆岼瀋法廚蓮∋に「激痛」ともいえるほどだった。おそらく、仕事上のストレスが大きく影響していたにはちがいないが、根本的には、「ピロリ菌」が元凶だったようである。手術することもなく、辛抱強いことに、「三共胃腸薬(3層錠)」だけが頼りで、20年あまりお付き合いしてきたわけだが、長野時代に日赤病院で「ピロリ菌の除菌」をしてもらったおかげで、今では、かつての「胃痛」など、他人事のように思われる。個人的には、藤沢先生のおかげだと思うが、現代医学のたま物だと思っている。

 ◆嵜澗“作」についても、やはり、ストレスから来ていたのだろうが、「異形狭心症」だったのか、「胃食道逆流症」だったのかは不明で、タイに越してきてからは、頻度は減ったとはいうものの、現在にいたるまで、完全に回復しいているとはいえない。
 こちらの方は、最近「心エコー(心臓超音波検査)」で、ごく軽度ながら「大動脈弁の逆流」が見つかり、体調によっては、必ずしも「軽度」ではないことも考えられ、一時的な「心不全」状態に陥っていた可能性が高いような気がする。
 これで、出生時以来の様々な症状の説明がつきそうである。遺伝子の問題で、「人工弁」に取換えなければ治癒しないのだろうが、今さら、そんな大手術を受ける気にはなれない。

  歯の性の悪いのも、遺伝のようで、虫歯もさることながら、歯肉炎で、次々と脱落し、50代半ばには、残存する歯は、10本を切った。
 幸い、チェンライ市内の歯科医の作ってくれた、というか、このときのバンコクの「技工士」の腕のおかげで、上下の「総入れ歯」の使い心地は悪くなく、今のところさしたる不自由は感じてはいない。
 今の入れ歯になってからも、自前の歯が1本脱落し、一応まともな歯の残りは、わずかに7本、これ以上減ってしまうと、入れ歯を支えられなくなるにちがいない。今の入れ歯になって、そろそろ10年、限界が近づいているようである。
 「骨拾い」のとき、この入れ歯どうなってしまうんだろうなどと、つまらぬことを考えることもある。

 (番外) 「世継」は、今のかみさんと一緒になってから、東大病院で、「パイプカット」の復元手術をしてもらったのだが、主治医の先生がいっていた50対50の可能性の悪い方の結果になってしまったようである。
 パイプを結束するだけの避妊手術だったはずなのだが、町医者の不手際から、術後、出血が止まらず、大病院に再入院させられたのだが、結局、切断せざるを得なくなり、しかも、術後20年ほど時間が経過していたわけで、思うようにならなかったのはしかたのないことである。
 前妻のときもそうだったが、今のかみさんにも、子供がほしいといわれたときには、自業自得とはいえ、心痛は尋常ではなかった。

| noripayarn | 1979diary | 03:10 | - | - |
初詣成田山
(天気)
 快晴
(温度)
 低し
(予定記事)
 - 
(重要記事)
 初詣成田山
 交通安全 2000.-
 お守り札300.-×2
 だるま 1300.-
(発信)
年賀状
 木村一朗
 田中猛
 田中興太郎
 青木克守
 水島明他3名
(受信)

(起床)
 -時-分
(就寝)
 -時-分
(外出)
 16時-分
(帰宅)
 18時00分

成田山へ初詣で
湾岸道路をへて、東関東高速道路経由で、成田インターを下りて、米屋(ヨネヤ)の駐車場に車を止めて徒歩で、新勝寺の境内に入り、下の本山まで行く。
午後で遅かったからか、比較的すいている。
往復とも、それ程混雑していなかった。
帰りには、南の空に、三日月が澄んでいた。

  朝 磯部巻 3ヶ、鯖酢、たこ酢、煮しめ
  昼 雑煮、おせち料理

 シクラメン、最初の一輪、咲きはじめ
 大旨、20年ぶりで日記を再開する。

 【補記 12/15/2009】

 年賀状、「発信欄」から書き始めているが、元日に受け取った賀状だと思われる。

 20年ぶりの日記、そうであろう、三日坊主に終ってしまったわけがよくわかる。なれないことはするものではない。
 このとき乗っていた車は、「ワーゲン」だったと思われるが、もしかすると「ローレル」に乗り換えたばかりだったかもしれない。

| noripayarn | 1979diary | 13:13 | - | - |
銀座、日比谷へ
(天気)
 快晴
(温度)
 - 
(予定記事)
 - 
(重要記事)
 箱根駅伝1日目
 順天大、日体大の有利予想に反して、初日1位。
(発信)
 諸々へ、賀状
(受信)
 全逓ストで配達されず
(起床)
 - 
(就寝)
 - 
(外出)
 - 
(帰宅)
 - 

映画を見に、銀座、日比谷方面に車で出かける。
順兵衛、和服して。1年ぶりくらいの和服姿、なかなか良い。
混んでいて、立見席しかないとのことで、結局見ないで帰る。

チンパンジーのTVを見る。(京大霊長類研)

 朝食 もち、雑煮
 昼食 帝国ホテル、テラスハウス (サンドイッチなど)
 夕食 普通めし

 【補記 12/15/2009】

 「順兵衛」というのは、前妻のザレ名で、本名は「順子」。
 「帝国ホテル」は、前妻とのはじめてのデートの場所で、小生が広島勤務だったときに、上京して泊まった宿。
 前妻は、本人は、「 ディオニュソス・タイプ」のつもりらしかったが、いいだもも氏の奥方にも指摘されたように、感性におぼれることを嫌う「アポロン・タイプ」の女性だったように思われる。「理知的」というのは、女性に対する敬意的表現だとは思われないが。
 裏千家のお茶などたしなんだのは、女性的であろうと心がけていたからかもしれない。たまにしか着ない「和服」だったが、和服はよく似合う女性だった。
 遠い昔の話だが、彼女も、そろそろ還暦を迎えたはずである。

| noripayarn | 1979diary | 13:18 | - | - |
錦糸町へ、映画鑑賞
(天気)
 快晴 
(温度)
 - 
(予定記事)
 - 
(重要記事)
 箱根駅伝2日目
 順天大優勝
(発信)
 - 
(受信)
 午後10時半ころ、父よりTelあり。
(起床)
10時30分
(就寝)
 - 
(外出)
 - 
(帰宅)
21時50分

午後より映画鑑賞に、錦糸町に行く。
葛西寮の子猫に餌をやったあと、錦糸町へ。
『ナイル殺人事件(A.クリスティ)』 ¥1300
『男はつらいよ、噂の寅次郎(松竹)』 ¥1100
      隣り合わせの映画館で。(変則2本立て鑑賞)

 朝食 もち3ヶ(焼きもち)
 昼食 雑煮
 夕食 叉焼メン(at 錦糸町)
   間食、夜食あり。

(下段、欄外)
大晦日抽選のくじ、10000円(50枚)買うも、2000円分しか当たらず。

 【補記 12/15/2009】

 正月休みは、どこへ行っても混雑しているため、映画鑑賞くらいしか思いつかなかったのかもしれない。
 前日、銀座へ出て見れなかったためか、しつこくトライしている。

 「松の内」にということでか、田舎でひとり住まいをしていた父親から、夜になって電話が入ったようだ。
 交通事故の後遺症で不自由しながら、祖父とふたりの生活が続いていたのだが、家事一切を受け持っていた祖父が亡くなってからは、父親ひとりだけの生活になってしまっていた。
 正月くらいは、帰省するべきだったのだが、前妻が、小生の実家へ行くことを、極度に毛嫌いしていて、帰らなかった。親戚身内や近所の人たちから、「世継ぎ」の出来ないのは彼女に問題があるのではないかと咎めだてされるのがたまらなかったようである。このことが伏線にあって、やがて「出奔・離婚」ということになるわけである。
 ひとり住まいの父親は、この1年後の、1980年2月はじめ、誰にも見とられないまま、実家の母屋の裏で亡くなっているのを近所の人に発見された。命日は、2月5日ということになっているが、おそらく死後数日は経過していたようだった。
 家督相続をするべき「長男」でありながら、親を省みなかった一連の「親不孝」は、現在にいたるまで心のわだかまりになっている。ことあるごとに、「偉そうなこと言えた義理か」と、誰かに叱責されているような気がしている。

 1万円もの「ジャンボ宝くじ」を購入する程度には、経済的には豊かになっていたらしい。

| noripayarn | 1979diary | 13:20 | - | - |
正月休暇も今日で終り
(天気)
快晴
(温度)
 - 
(予定記事)
 - 
(重要記事)
異常乾燥注意報
(発信)
 - 
(受信)
 - 
(起床)
7時00分
(就寝)
 - 
(外出)
 - 
(帰宅)
 - 

今日で正月休みも終り。12月30日から、今日まで6日間、無為に過ごした。明日からまた会社だ。いろいろ憂うつな1年になりそうな気がする。
 今日も、午後、軽い心ぞう発作。この日記も、自分の心ぞう発作の原因探求の一助になればと始める気になったのだが、たとえ原因がわかったとしても、治るとは限らないわけだが、苦しいのはいやだから、やっぱり原因がわかった方が良い。ただ、妙な気になるのは、何か現象があると、それを探求し、その原因とか発生のメカニズムの調査といったことが、自分の人生の「意味」と錯覚してしまいそうなことだ。

  朝 もち
  昼 雑煮
  夕  めし

 【補記 12/16/2009】

 この頃、頻繁に「心臓発作」が起きていたようである。仕事のことばかりか、私事についても、あれこれ悩んでいて、そのストレスもあったのかもしれない。正月の過ごし方を見ても、日々の生活にゆとりがあるような過ごし方はしていないようである。
 同居人である、前妻のことについては、ほとんど触れられていないが、彼女はこの正月、どういう過ごし方をしていたのだろうか。

| noripayarn | 1979diary | 13:21 | - | - |
仕事始め
(天気)
晴れ
(温度)
 - 
(予定記事)
仕事始め
(重要記事)
12月27日面接分、採否決定
(発信)
 - 
(受信)
 - 
(起床)
 - 
(就寝)
 - 
(外出)
 - 
(帰宅)
 - 

1) 東芝DP-6 T&D 分担決定
2) 役員会、採否決定、新人教育等検討
3) 東芝医療システム 方針決定
4) 新人紹介
    )沢 (frm SDC)
   ◆〇蛎次 frm 大林組、二部学生在学中)
    峯崎 (frm ?)
   ぁ)挌 (午後より出社)

5) 仕事始め、祝酒(夕方)のあと麻雀。

新年早々、今年も忙しくなりそう。

 【補記 12/16/2009】

 初日の仕事内容については、全くといっていいほど記憶にない。
 「日本ラッド」で新しく中途採用した新人のみなさんだが、そのほとんどは、以前同じ会社で仕事した仲間たちで、いわば「引き抜き」のようなものである。

| noripayarn | 1979diary | 13:25 | - | - |